ここは福井県の北の端、三国町安島から三宅小百合が生放送でお届けしています。
東尋坊と雄島のちょうど中間にある、海の側の家ハウスアムメーア。
レストラン「砂や]から、安島の海の風を丹南の皆様にお届けしたいと思います。
この番組のタイトル「だっちみんだっちみん」とは、安島の方言で「おいっちにおいっち」にという意味です。
心の中で「だっちみんだっちみん」「おいっちにおいっち」にと声をかけながら
DEEPな三国の情報を丹南のみなさまに、ご紹介したいと思います。
本日もよろしくお願いします!
さて、本日のゲストです。
三国の宝「小野忠弘さん」みなさんご存知ですよね!
1960年のベニス・ビエンナーレ展に出品した作品「アンチプロトン」で国際的な評価を受け米ライフ誌上で「現代美術分野の世界の7人」に選ばれた小野忠弘さんです。
世界の小野忠弘さんの晩年、88歳で宇宙(そら)に帰る日まで暖かく支えた坂本夫妻の奥様、坂本明子さんにおいでいただいております。
三国町在住、坂本明子さんです。こんにちは!
坂本「こんにちは」
そして、ハウスアムメーアの森岡千代子さんにもおいでいただいています。
こんにちは! 森岡「こんにちは」
坂本明子さんは、坂本ガラス店の看板奥様
環境問題にも積極的に取り組んでいらっしゃいます。
坂本「私が活動しておりますのは「エコネーチャーさかい」というボランティアです。環境基本計画の推進に行政と恊働で取り組んでいます。彩り豊かなふるさとの自然環境を後世に残す為に頑張っています。
このような坂本明子さんですが、現代美術分野で世界の7人に選ばた小野忠弘さんに「うさぎ」と呼ばれた女性です。
小野先生は明子さんをなぜ「うさぎ」と呼ばれたのでしょうか?
坂本「知らなかったです。生前に聞いておけば良かったですね。
ある時、坂本の店で作品を創っていた時です。私が留守の時に愛用していたカップを無断で作品に貼付けてしまったもんだから、ムッとしてプンプン怒り面をしてしまったんです。そうしたら、いつの間にか作品の名前が「うさぎプンプン」というわけです。おもしろいですね。
森岡「以前、旧森田銀行で拝見しました。今回、改めて作品を見せていただきましたが、また違う思いで拝見しました。改めて凄いな、、、と」
ところで、小野忠弘さんと 坂本夫妻が 知り合ったキッカケって、、、?」
坂本「平成9年の夏でした。保子夫人が店に寄られてからでしょうね。その頃は体力的にも精神的にもかなり疲れている状態でしたね。80才、買物に行 かれるご様子でしたので何か役に立てばと思い、ご一緒させていただきました。それからのお付き合いが始まったわけです」
小野忠弘さんの家は滝谷寺の後ろの小高い山、坂本ガラス店の裏に位置する場所にあります。現在、ONO MEMORIALとして一般に公開されています。ちょうど奥様の買物や病院への通り道だったのです。
小野忠弘といえば、人嫌いであるとか、門前払いしたとかの噂が有名です。
森岡「小野先生の噂はいろいろお聞きしておりますよー。奇才、小野忠弘像。坂本夫妻が人間、小野忠弘とお付き合いしていたことに興味があります」
坂本「作品制作中につき、面会謝絶という看板が玄関に貼ってありました」
面会謝絶!なんてユニークな方ですね、、、。
坂本「小野先生は、人は一人では生きて生けない、、、。そう言われておりました」
人生の半世紀以上を三国に住み、三国を愛し、自然を愛し、そして人いちばい気を遣う方でした。今でも私たちの心の中に生きておられます。お世話させていただいた事を誇りに思い、お付き合いできたことに感謝しております。
森岡「ここで小野忠弘追悼集から坂本秀雄さんの文章を一部朗読」
坂本「知り合った当初、娘さんを亡くされたばかりだった。娘のように感じてくださっていたのかも」
お茶目な一面
坂本「作品の材料を選びに行くときです。その場所が近づいてくると、初恋の相手に会うようにドキドキするんです、、、って言うんですよ!」
ここで小野忠弘さんの好きだった曲をお聞きください。「赤い靴」
赤い靴をお聞きいただきました。
番組への御意見、御感想はだっちみんだっちみんとひらがなで検索。
この番組のブログにメッセージをお送りくださいね!
たんなんFMのFAX0778-53-2563でもお待ちしております!
本日のゲストは現代美術分野 世界の7人に選ばれた美術家、小野忠弘さんの晩年を暖かく支えた、坂本夫妻、坂本明子さんにおいでいただいております。
小野忠弘追悼集のなかに 高橋昇さんが書かれた追悼文の最後に「あらためて三国の坂本さんご夫妻へ」と、小野忠弘さんに代わり、坂本夫妻に伝えたい言葉を高橋昇さんが書かれています。 一部ご紹介します。
「坂本さんたちという あたたかい温情にすがり 生きる暇を みつけることができました。感謝しています」
小野忠弘さんが、高橋昇さんに話されたのですね、、、。
生きる暇という表現でもわかるように詩人、小野忠弘も感じます。
坂本「奥様が入院中、父親代わりで可愛がってくれた兄を99歳で亡くし
ご自身も熱がある状態で青森に葬式に向かった。夜行列車で青森へ。そ
の時に先生の荷物をみたら非常用のナップサックにまるめて喪服が詰めてあった。飼っている猫の毛がついていたので、きれにして胸元に内側にポケットを縫い
つけておいた。そして夜行列車に乗る前に車掌に先生が心臓が悪いので、、、とお願いしておいた。帰福されて、青森についた時、車掌が毛布を持って来てくれ
た。と聞きました。その時のことを高橋さんに話されたのでしょうね」
森岡「芸術家、小野忠弘の人間としての1面を感じるエピソード」
本日のゲストはこのような 偉大な美術家、小野忠弘さんの晩年を 暖かく見守った坂本夫妻、坂本明子さんにおいでいただきました。ありがとうございました。
最後に坂本さんが 小野忠弘さんを感じる曲を 選んでくださいました。
坂本「仲の良かった宗左近さんと先生は、向こうの世界で芸術談義に華を咲かせていることでしょうね、、、。」
坂本「また三国へ一回でもいいので、来てください」
小野先生の作品は、年月が過ぎ、絵の具が禿げても、そこに新しい顔がみえる」
森岡「作家は死んでも、作品は残る。まさに、それが芸術です」
平原綾香 新世界
コメント